悪口を言わないようにすると疲れにくくなる

初めまして。平穏堂院長の田上俊和と申します。

本日からブログを始めます。

当ブログの目的は以下の3つです。

 

一つ、ブログの文章から私の為人を知っていただくことと、

一つ、毎日更新することによるSEO対策

 

そして一番重要なのが、最後の一つである、

一つ、何らかのキーワードで検索し、当ブログに来ていただいた方に

   益となる情報をお渡しすること

です。

 

当面の「益となる情報」は「疲れにくくなる暮らし方」の紹介です。

よろしければお付き合い願います。

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さて、本日の「疲れにくくなる暮らし方」は、表題の通り

「悪口を言わないようにすると疲れにくくなる」です。

大前提:人は自分につけられた傷を修復する際、気力体力を消費し、その結果、疲れる。

小前提1:悪口は人を傷つける。

小前提2:悪口は、発言者の口から出たのち、まず、発言者自身の耳に届く。

 

小前提1と2より、悪口は、まず発言者自身を傷つけます。

傷つくと、大前提により、人は疲れます。

以上のことから、悪口を言うことは発言者自身を疲れさせることになります。

従って、悪口を言わないようにすることで、「悪口を言っているとき」よりも

疲れにくくなる、となります。

 

 

次回(8/9)は「善悪は人や状況によって異なることを知ると疲れにくくなる」です。

 

○ブログ開始記念特別コラム「悪口を言われたときの対処法」

 

悪口を言われたときの対処法は、

「この人が私の悪口を言う目的はなんであるか」を考えるのが第一です。

そして目的が何であれ悪口の発言者から「逃げる」のが第二の対処となります。

 

以下でその2点を解説します。

 

1.悪口のメリットと現実への影響力

 

   悪口のメリットは、

   「悪口の対象者の価値を見かけ上、下げることで、

    悪口の発言者自身の価値を見かけ上、相対的に上げることが出来る」

   「悪口の対象者が自発的に自分自身の価値を貶め、

    相対的に上位となる、発言者の支配や操作を受容する可能性が高くなる」

   という2点です。

   あくまで見かけ上であり、相対的であるので、物理的な影響は及ぼしません。

   つまり、現実に対する影響力は、単体では存在しません。

 

2.悪口への最善の対処法

 

   従って、悪口を言われた場合は、「私が悪いんだ」と思うのではなく、

   「この人が私の悪口を言う目的はなんであるか」を考えるのが第一の対処となります。

 

   私見ですが、悪口を言う人の目的は、大きく、以下の2つに分かれます。

 

   1) 外部に敵を作ることで身内の結束を固める

   2) 対象者に対し権力闘争を仕掛ける

 

   実は、1)でも2)でも、対象者は「逃げる」のが最善手であり、第二の対処です。

   この場合「逃げる」には、「気にしない」「悪口だけを無視する」ことも含まれます。

 

3.悪口への最悪の対処法

 

   悪口に対する最悪手は何かというと、「反応して立ち向かう」です。

   何故ならば悪口の発言者は、対象者に「敵対する」ないし「隷属を求める」ための

   「いち手段」として「悪口」を選択し、使っているだけだからです。

   「立ち向かう」を選択した場合、その手段が「悪口」から「直接の攻撃」に

   ランクアップする可能性が高くなります。その場合、被害も拡大します。

   運よく勝利を収めたとしても、次にくるのは復讐心からくる報復です。

 

   ですので、悪口を言う相手からは「逃げる」のが最善手です。

 

4.悪口への次善の対処法

 

   最善の「逃げる」ことが無理な場合、相手の目標から外れることが次善手です。

 

   目標から外れる手段としては

    a)「目標にされないくらい、自身の価値を下げる/上げる」(積極的対応)

    b)「相手が目標にするメリットそのものを失くす」(消極的対応)

   などがあります。他にもあると思いますので興味があれば考えてみてください。

 

    a)の具体例

    「相手がいった悪口通りのことを、言った相手にだけ行う。」

      →悪口をただの事実にするわけです。事実ならば気にすることはありません。

       ただ、自身が受けるダメージも半端なく大きいためお勧めしません。

    「悪口を言う側が惨めに思うくらいの能力を身につける」

      →実行可能な人は限られてくると思われます。

       ですが可能であれば効果は絶大。「逃げる」の次にお勧めです。

 

    b)の具体例

     発言者の目的が対象者を隷属させることである場合のみ使えます。

     「無能になる(なったフリをする)」

     「上位者(※)からの命令により、悪口の発言者が、悪口の対象者に期待する

      能力や財力、資産etcが使えない状況を作る」

       ※悪口の発言者に全く無関係の人間か、発言者に対しても上位である人間

     →つじつま合わせに労力が必要となりますが、目標から外れる手段としては

      現実的なものだと考えます。

 

     発言者側の目的が「敵対」(することで内部の結束を固める)自体である場合は、

     発言者側の内部抗争を誘発するくらいしか手がありません。

 

以上

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コメント: 3
  • #1

    石倉 克彦 (金曜日, 08 8月 2014 21:57)

    学生時代、常に真摯な態度で取り組んでいる田上さんの姿を拝見していて、どんな鍼灸師として成長されるんだろうと、興味を持って見させていただいていたところでこのブログを拝見しました。
    この問題に関しては今回触れられていない側面、受け止める側の問題としてとらえるやり方も重要かと思います。
    コミュニケーションは発信者受信者がいて成り立つもので、受信者の側に問題が有ってトラブルになる例が有ります。発信者の側に悪意がなく、受信者もそれを理解しており、にも拘らず悪口を言われた、攻撃されたと受け止めてしまう思考の癖をコントロール出来ずに悩むケースも有ります。
    まぁそんなのは発信者側から言えば関わらないのが最善なのですが、受信者の方はあちこちで同じような思考の癖で敵を作り、その事事態でまた悩んで病気を悪化させる場合が有ります。
    鍼灸的にはこう言う人には七情の乱れととって、肝の治療をすることになるのでしょうか?
    所で今日は有る大学病院で解剖の実習が有りました。
    ではでは(^_^)/~~
    頑張ってください。

  • #2

    田上俊和 (金曜日, 08 8月 2014 23:01)

    石倉さん、コメントありがとうございます。
    挙げてくださった例に対し、私が注目するポイントは
    1.「受信者の課題と発信者の課題の分離」
    2.「『受信者』は「攻撃されたと考える」ことでどのように得をするのか」
    の2点です。
    まず、大前提として、受信者の課題は受信者自身にしか解決できません。
    よって発信者は無関係です。関わる必要も意味もありません。
    受信者が発信者を嫌っても発信者は気に留める必要はありません。
    よって私は、挙げてくださった例は二者間のトラブルでは無く、
    受信者の課題に過ぎない、という立場です。
    次に、受信者が「攻撃されたと考えること」でどのように得をするのかですが、
    「攻撃されて可哀想な自分」→「可哀想だから誰か助けてくれるはず」という、
    「無条件の援助」を求める目的があるのではないか、と推測します。
    もしかしたら「攻撃される」→「構ってもらって嬉しい」というマゾヒズム持ちかも
    しれません。
    いずれにせよ、本人が選択したライフスタイルによる自動認知で
    「攻撃されるとなんやかんやで得をする」と考えていると思われます。
    従って、受信者自身が、「攻撃を受けるのは不利益である」というライフスタイルを
    意識的に選択しなおせば、例に挙げてくださった課題は解決すると考えます。
    私の場合、受信者が解決手段の援助を望んだときに限り、上記提言を行います。
    そして、鍼灸では、そのライフスタイルによって生じているであろう
    精気の虚を補うことぐらいしかしないと思います。
    別に手段を鍼灸に限定することは無いのです。
    虚実を補瀉できれば手段はなんでも良いのです。
    ということで本日はこれにて。
    明日も頑張ります。

  • #3

    田上俊和 (土曜日, 09 8月 2014 13:38)

    「攻撃されたと受け止めてしまう」ことでどんな得をするのか、
    という点で新たに思い至った点がありました。

    ○「自分には価値があるのだ」と実感するためではないか。
    この見立てが正しい場合の解決策としては
    「攻撃されなくてもあなたという存在には価値がある」と
    本人に納得してもらえば良いと思います。

    以下、解説です。
    大前提:価値があるものは求め争われ、無価値なものは無視される
    小前提:「関心を持たれない」ことに耐えられる人間はあまりいない。

    自分に自信が無い=価値が無いと考えている人が、
    自分に価値があると実感したいときにどう考えるか。
    十分な能力がある場合:それを発揮し、肯定的な関心を引く。
    無い場合:否定的な関心を引くために悪行を行います。
    その悪行をも行えない場合:(今回の見立て)
    「自分には価値があると思いたい」という目的がまずあり、そこから、
    「何かをされれば、それは、『何かをされるだけの価値がある』ことと同義である」
    と論理展開し、その結果、ただの事務的連絡にも「何かされている!」と認識する
    のではないかと推論します。

    ちなみに、いわゆる中二病や陰謀論の人はこの状態です。
    「世界は陰謀に満ちていて、自分はそれを知っている。
     そして、自分はその陰謀をたくらむ組織に狙われている」
    →「だから自分は偉い/すごい」という論理展開がテンプレートだと思います。
    先に書いたように、実は順序が逆で、
    「自分は偉い/すごいと思いたい」という目的が先にあって、
    その手段として「世界は陰謀に満ちて~」とやるわけです。

    なお、この見立てが正しい場合、治療としては、患者さんの現状がどうであって、
    患者さん自身が、どうなりたいのかが分かれば、事足ります。
    何故なら患者さん自身が人生のあり方を選択しなおせばよいだけなのですから。
    治療者はその選択肢を提示すれば良いと思います。
    からだに影響がでているなら別途治療すれば良いと思います。

    以上