権力争いを最小限にすると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

「権力争いを最小限にすると疲れにくくなる」です。

大前提:人は、争いに負けると、傷つく。

    そして、その傷を治すために気力体力を消費し、その結果、疲れる。

小前提:人は勝負に勝ち続けることはできない。勝負し続ければ、いつか負けるときがくる。

 

大前提と小前提から、権力争いは、多く行えば行うほど、負ける可能性が高くなっていき、

当然、負ける=傷つくことの回数も多くなり、傷を治すために疲れることも

多くなるといえます。

 

従って、権力争いを最小限にすると、無駄に傷つかず、その結果、気力体力を温存でき、

疲れにくくなる、となります。

その結果、本当に必要なたった一つの権力争いに、全力を傾けることが出来るという副産物も

得られることでしょう。

 

次回は、「自分の影響の輪を受容できると疲れにくくなる」です。

 

○権力争いについて私見

人間関係には、多分に権力争いの側面があります。

私見ですが、自分にとって「善」である行動を、他者が受け入れられない場合、

権力を以て他者に受け入れさせさせようとして

権力争い(端的に言えば、価値観の押しつけ)を仕掛けることが多いと考えます。

 

権力争いを仕掛けた側の、表面的な目的は

「自分にとって『正しい』行動は、

 他者にとっても『正しいに違いない』のだから、

 受け入れさせるのが『正しい』のだ」です。

ですが、真の目的は、まず最初に「屈服させたい相手」が居て、

そして「その相手を屈服させる」ことにあると、私は考えます。

何故ならば、「尊敬する相手」または「明確に上位の相手」(以下、上位者)に

権力争いを仕掛ける人間は、ごく稀である、という事実があるからです。

たとえば、上位者に自分が正しいと思う主張を通す場合、

口調は、争うものでなく、相手に判断をおもねるものか、

そうでなくても、だいぶ腰の引けたものになっているでしょう。

その場合、ただの話し合いになります。

 

つまり、「話し合い」にならないのは何故なのか。

それは、まず最初に「屈服させたい相手」を「屈服させる」ための権力を争う目的があり、

その目的を達成するための手段として、「自分の主張を認めさせる」ことを選択しているから、

となります。

 

権力争いを仕掛けられた側の対応としては、

まず回避を試みるのが第一です。

会話中の権力争い

(「絶対○○すべきよ!あなたは!!」や、

 「あなたは間違っている!!こうするのが正しいのよ!常識でしょ!!」など)ならば

スルーして、話題を変えるなども有効でしょう。

(真に常識であるならば、声を荒げる=怒りの感情を威圧の道具として使う必要はありません)

回避出来ない場合は、

「相手がこちらを屈服させるメリットはなにか」を考え、

屈服させられたときに、仕掛けた側が得るはずのメリットを

失くしてしまうのが第二に有効な対応です。

 

仕掛けた側を、逆に、屈服させてしまうのも短期的には有効です。

しかし、独断と偏見ですが、権力争いを仕掛ける精神性の持ち主は、

屈服させられた場合、まず間違いなく、復讐心を持ちます。

(自分が正しいのに!恥をかかせやがって!といったように)

そして、報復として新たな権力争い、しかも規模の大きいものを

仕掛けてくる可能性が高く、そして『自分が正しい』と思っている場合、

その報復が止まることはない、と言えるため、長期的には無効です。

 

最後になりますが、権力争いではなく、お互いに益のある話し合い

(いわゆるWin-Win)に持っていけるのであれば、

それが最上の人間関係だと私は考えます。

Win-Winができない場合は、話し合いそのものをなかったことにする

(取引自体を無しにする)のも有効だと考えます。

 

以上