他人に”介入”せず、”援助”すると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

「他人に”介入”せず、”援助”すると疲れにくくなる」です。

用語の定義

”介入”・・・他人の課題に、自分の価値観を以って踏み込むこと。

      介入は、「自分を、他人より上に置きたいという」目的がまずあって、

      その手段である「他人の操作」の一つとして行われる。

       例:新婚の夫婦に親が「早く子供を作りなさい」と言う。

         子供を作る/作らないは夫婦の課題であり、親の課題では無い。

         また、「結婚したら早く子供を作らねばならない」のは親の価値観である。

”援助”・・・他人が、課題に立ち向かう自信を持てるよう、横に寄り添い、支える。

      このとき重要なのは、援助の準備があることを伝えておき、

      「課題に立ち向かう本人からの援助要請」が有ってから初めて実際に援助することである。

       例:新婚の夫婦に対し、親は

         「我々には、君たちの育児に対し、○○と××を行う準備がある。

          そのいずれか、もしくは全てを受け入れるか、そしてその時機は

          君たちに選択権がある」と伝え、新婚夫婦の決断を待つ。

         そして新婚の夫婦が要請して初めて、実際の援助を行う。


大前提:人は、思い通りに物事が進まないとストレスを感じ、疲れる。

小前提1:介入の場合、相手に押しつける提案を拒否・否定された時点で、思い通りでなくなる。

小前提2:援助の場合、こちらは、提案を提示するだけで、相手に選択権を渡している。

     つまり、どの選択肢を選ばれても、また、選ばれなくてもこちらの思い通りである。


小前提1から介入の場合、原理的に「思い通りにならない可能性」が存在します。

小前提2から援助の場合、原理的に「思い通りにならない可能性」が存在しません。

つまり、大前提から、”介入”すると疲れやすく、”援助”すると疲れにくくなるとなります。


従って、「他人に”介入”せず、”援助”すると疲れにくくなる」となります。


次回(8/25)は「あなたの人生の主導権はあなたが持っていることに気付くと疲れにくくなる」です。


○「親切心」について私見

  a) 親切心の定義


     私は、本来の「親切心」とは上記の”援助”であると考えます。


  b) 親切心での働きかけか否かの判定


     「親切心」から『こうしたほうがいい』と”忠告”することは良くあると思います。

     そのとき、相手に否定された場合に、どう考えるかで、「親切心」かどうか判定できます。


     ・「親切心」である

        相手に否定されたとき「そうか、君の考えではそうなんだね」と考えられるならば、

        相手に選択権を渡していますから”援助”であり「親切心」であると考えます。


     ・「親切心」でない

        相手に否定されたとき

        「なんであいつは俺のいうことを聞かないんだ、親切で言ってやったのに」

        と考えるようであれば、”介入”であり、自分の価値観の押し付けであるといえます。

        また、その働きかけにより、相手からの感謝や承認といった見返りを得たいと

        考えたならば、それは「取引」であり、「親切心」ではありません。


  c) 「親切心から忠告するのをやめたくなる」想いの正体

      「親切心から忠告するのはもうやめた、みんな俺の言うこと聞かないんだもの」

      と考えることがよくあると思います。

      ですが、それは「親切心」の振りをした”介入”=「自分の価値観の押し付け」に

      失敗し、失敗に傷つき、そして傷を治すのに疲れただけだと私は考えます。

      つまり「自分が正しい」と思って他人に”介入”すると疲れやすいといえます。


  d) 疲れにくい「親切心」の発揮方法

      「親切心」を発揮する暮らし方を選択する場合、

       ・他人から求められている

       ・自分に十分な余裕がある

      の2点を満たしたときだけ発揮するように限定すると、

      他人と自分の双方が、最も「疲れにくくなる暮らし方」だと、私は考えます。


以上