正論を武器にしないと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

「正論を武器にしないと疲れにくくなる」です。

大前提:人は、他人を攻撃すると、必ず反撃を受ける。

    反撃を受けて傷つくと、傷を修復するために気力体力を消費し、その結果、疲れる。

小前提1:人は、正論で武器に攻撃されると反論できず、恨みを内に籠らせる。

     その結果、攻撃側が「弱み」を見せたとき、ここぞとばかりに強力な反撃を行う。

小前提2:正論を武器ではなく、相手に利を説くための「道具」として使うと、

     相手に選択権が渡るため、結果的に説得されても、恨みは生じず、反撃の機も生じない。


小前提1と大前提から、人は正論を武器にすると、「弱み」を見せたときに強力な反撃を行われ、

その結果、疲れるとなります。

また、小前提2から、正論を武器にしない場合は、「弱み」を見せても反撃が行われないため、

疲れにくくなる、となります。


従って「正論を武器にしないと疲れにくくなる」となります。


次回(9/8)は、「他人を支配・誘導しないと疲れにくくなる」です。


○反撃について私見


 1) 反撃を受ける方向


  当記事の大前提で、他人を攻撃すると、必ず反撃を受けるとしました。

  この反撃は、必ずしも「攻撃を受けた本人」から受けるわけではありません。

  むしろ「攻撃を受けた本人の身内」から、つまり「攻撃を仕掛けた側」からすると

  予測がつかない方向から反撃を受けることが多くあります。

  予測がつかない方向からの反撃には対応が遅れますから、防御できず、傷口は深くなります。


 2) 反撃を受けるタイミング


  また、反撃されるタイミングも、攻撃した側が予測していないタイミングが多いです。

  具体的には、最初に攻撃した側が「強い」うちは反撃されません。

  それは反撃側が再反撃されるリスクを恐れるためです。

  つまり、最初に攻撃した側が「弱く」なってから反撃されます。

  「弱く」なってから反撃を受けるのが、なぜ「予測しない」タイミングか。

  それは、人が「忘れる」生き物だからです。

  「強い」うちに攻撃を続けるうちに、見かけ上の敵はいなくなり、見かけ上、味方しか

  いなくなります。そして味方は「無条件に」自分に味方していると思うようになります。

  いつしか時間が経ち、過去に多方面に攻撃したことも忘れ、

  そして「弱く」なって、「いい人生だった」と考えて余生を暮しているところに

  「味方」だと思っていた方向から「反撃」を食らいます。

  そうすると、全く予測していないため対応が遅れ、傷口は深くなります。


 3) 余計な攻撃はしないが吉。攻撃がどうしても必要ならば死ぬまで覚悟を持つが吉。


  攻撃すれば必ず反撃を受けるということは、1)と2)で説明できたと思います。

  したがって、メリットが少ない攻撃は可能な限り行わないほうが疲れにくい、となります。

  どうしても必要に迫られて攻撃しなくてはいけないのであれば、

  死ぬまで反撃の可能性を考え続ける必要がありますので、非常に疲れます。

  それだけの覚悟を持って行いましょう。


以上