『意見の否定』と『人格の否定』を区別できると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

「『意見の否定』と『人格の否定』を区別できると疲れにくくなる」です。

1.『意見の否定』は条件付きで「疲れにくくなる」

 

    人は『意見が否定された』と感じた場合、他者の視点から、自分の意見を再点検し、

   納得できれば同意し、納得できなければ反論します。その結果、『意見を磨くこと』ができます。

    『意見の否定』に対し、『意見が無条件に肯定された』と感じた場合、他者の視点から、

   自分の意見の再点検を行う機を伺いにくいため、意見を磨くには不都合です。

    つまり『意見の否定』は『意見に対する無条件の肯定』よりも目的達成の効率が良くなるため、

   疲れにくくなるといえます。

    まとめると、「否定するための否定」ではなく、「根拠あっての『意見の否定』」は、

   自分と相手の両方に益があり、その結果疲れにくくなる、となります。

 

 2.『人格の否定』は「疲れやすくなる」


    人は『人格を否定された』と感じた場合、連鎖して『”自分の価値”を否定された』と感じ、

   そこから『自分の安全確保が難しくなった、つまり危険に陥った』と反応が派生していきます。

   危険を感じると他者に対し攻撃的になったり、必要以上の安全マージンをとった防御を行おう

   とします。

    つまり『人格の否定』が行われると、否定が行われない場合よりも疲れます。

   否定であると感じた側はもちろん疲れますが、否定した側も相手からの反撃で傷つくことに

   なるため疲れます。

    まとめると、『人格の否定』は、自分と相手の両方に害があり、その結果疲れやすくなる、

   となります。


上記1と2から、『意見の否定』と『人格の否定』が区別できずに、

誤って発したり、受け取ったりした場合、それぞれ逆効果になります。

言い換えれば、『意見の否定』と『人格の否定』が区別できれば、疲れにくくなる、となります。

『人格の否定』を『意見の否定』と考えるのは、害意に対する防御を放棄したに等しいため、

やはり損傷は生じ、その結果疲れます。


従って「『意見の否定』と『人格の否定』を区別できると疲れにくくなる」となります。


次回(11/17)は、「使用と補給を同程度に注目すると疲れにくくなる」です。


○攻撃手段としての『人格の否定』


   もし貴方が誰かを攻撃する目的を持ち、それを達成する手段として『人格の否定』を

  選択するのであれば、それは大変有効です。但し、反撃も確実にあり得ますから、

  その反撃に対処する準備が必要になります。

   逆に、”攻撃する意図を持たず、準備もせずに『意見の否定』の心算で『人格の否定』を行った”

  場合、想定していない強さの反撃を受けることになります。


以上