人は論理的結末を体験することで己の行動に責任を持つようになることを知ると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

人は論理的結末を体験することで己の行動に責任を持つようになることを知ると疲れにくくなる」です。

<当記事の前提>

人は失敗を通じてしか学ばない。


<本文>

 失敗とは、原因が有っての結末、つまり論理的に状況が進行し生じた結末のひとつです。

 人は失敗を体験すると、失敗自体が、「自分に不利益をもたらす」ことを学びます。

 人は「自分に不利益がもたらされること」を嫌いますから、失敗しないように己の行動に責任を

持つようになります。


 ここで論理的結末(=失敗)を体験させずに己の行動に責任を持たせようとするとどうでしょうか。

 私見ですが、「自分の不利益」を体験しない人は、己の行動に責任を持たないか、持っているつもりで

も責任を過小に捉えてしまう、と私は考えます。


 つまり「人が己の行動に責任を持つ」ためには、

「己の行動を原因とする論理的結末を体験する必要がある」と考え、

さらにそれを実践することで己の行動に責任を持つ「仲間」を増やせる、と私は考えます。


そして、「同じ目的で動き」「己の行動に責任を持つ」仲間がいれば、その仲間と力を合わせて

目的遂行に動けますから、自分ひとりが出す力は、ひとりだけで行うときより少なくて済みます。

出す力が少なくてすむのであれば、疲れにくくなります。


従って「人は論理的結末を体験することで己の行動に責任を持つようになることを知ると疲れにくくなる」となります。


次回(11/30)は、「異なる結果を求める手段として異なる方法を試すことに気付くと疲れにくくなる」です。


以上