悲しむときは思い切り悲しんでしまうと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

悲しむときは思い切り悲しんでしまうと疲れにくくなる」です。

 人は、「大切なもの」を失うと悲しみます。

ここでいう「大切なもの」とは、愛情、友情、依存、共栄の対象です。

そして人は、「悲しむこと」で、「大切なもの」を失った際の精神的衝撃を和らげ、

そして、「大切なもの」を失ったという事実を認められるようになります。


 そういった「悲しむこと」の効果があるため、悲しむことを途中でやめてしまうと、

  ・「大切なもの」を失った際の精神的衝撃が大きく残る

  ・「大切なもの」を失った事実を認められず、後に引きずり続ける

といったデメリットが半永久的に生じます。

人は、生じたデメリットをカバーするために、気力を大いに消耗し、疲れます。


 ですので、「悲しむときは思い切り悲しんでしま」って、大切なものを失った精神的衝撃を

和らげ、失ったという事実をしっかりと認めてしまうと、「悲しむのを途中でやめる」ときよりも

疲れにくくなる、と言えます。


従って「悲しむときは思い切り悲しんでしまうと疲れにくくなる」となります。


次回(12/19)は、「嫉妬する仕組みに気付くと疲れにくくなる」です。


○「悲しむこと」と「悲しんでみせること」の違い


    「悲しむこと」は、ひとりの人間の中で完結することです。

   もし「なぜおまえは悲しまないんだ!」とか言われてもそれは「言った人」の課題です。

   「言われた人」(貴方)の課題ではないため、無視して構いません。

    逆に「なんでそんなので悲しいの?」と言われても貴方が悲しければ悲しんで良いのです。

   疑問を持つのは「疑問を持った人」の課題であり、貴方の課題では無いのですから。


    それに対し、「悲しんでみせること」は、「他人の同情を得、注目を集める」目的で

   行われる手段の一つです。


    「悲しんでみせること」は、同情を得るのにきわめて有効な手段であるとともに、

   よほどの敵意を持たれていない限り、批判を受けづらいという意味でも優秀な手段です。

   ただし、余り多用するとその目的が透けてみえて好意的な反応を得辛くなりますので

   ここぞというときだけ使うのが安全だと、私は考えます。


以上