『労働力の投入』≠『仕事』に気付くと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

『労働力の投入』≠『仕事』に気付くと疲れにくくなる」です。

 人は往々にして、働いたこと(=『労働力の投入』)に満足し、結果は二の次とします。

ですが、『労働力の投入』は必ずしも『仕事』と等号で結ばれません。

何故なら、『仕事』には『評価基準』があるからです。

その『労働力の投入』が『評価基準』で評価されないのであれば、『仕事』ではありません。


 『評価基準』に引っかからない明後日の方向に『労働力の投入』を行っても全くの無意味です。

そして、別途『評価基準』を考慮した『労働力の投入』を行わなければならなくなるため、

その分、疲れることになります。


言い換えると、何も考えない『労働力の投入』≠『仕事』であることと

『評価基準』を考慮した『労働力の投入』が『仕事』であることに気付けば、

『仕事』に対し最小限の『労働力の投入』で済むことになりますから、疲れにくくなります。


従って「『労働力の投入』≠『仕事』に気付くと疲れにくくなる」となります。


次回(12/26)は、「『普通であることの勇気』を持つと疲れにくくなる」


○物理学で扱うところの『仕事』


  以下余談です。


  物理学で扱うところの『仕事』は、『労働力の投入』とほぼ等号で結ばれます。

  『仕事』を求める方程式は、

   仕事の大きさ=力の大きさ×変位の大きさ

  です。

  文章で示すと「どれだけの力でどれだけの距離を動かしたか」が「仕事の大きさ」です。

  つまり『評価基準』は物理学上の『仕事』にはありません。

  『仕事』は、『物体の運動エネルギー量』の増減に関与します。


以上