『自分が何を以て善悪を論じているのか』を意識できると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

「『自分が何を以て善悪を論じているのか』を意識できると疲れにくくなる」です。

 人は物事の善悪を議論することがあります。その善悪の基準は3つあります。

一つは『1.倫理観』です。倫理観は道徳でもあります。

もう一つは『2.事実そのもの』。残る一つは『3.自分の主観』です。

 

 このうち、『1.倫理観』『2.事実そのもの』を基準とし善悪を論じるのであれば、

結論が人によって異なることは、まずありません。

(前提:同一の文化を持つ共同体の内部で議論を行う)

 

 ですが、『3.自分の主観』を基準に善悪を論じる場合、『他人の主観』との主導権争いが生じ

その結果、主導権争いに勝っても負けても、他人の同意を得にくくなります。

そのため、同じ議題であっても、議論するたびに結論が異なる可能性が高くなります。

 

 つまり、『3.自分の主観』で物事の善悪を論じていることを意識できずにいると、

同じ議題なのに毎回結論が異なったとしてもその理由に気づけません。

 

 結論が異なれば、その結論に従って起こした行動のやり直しが必要になるため、

やり直す分、疲れが大きくなります。

 

 ここで、自分が『3.自分の主観』で物事の善悪を論じていることを意識できれば、

『自分の主観』の弱点を適宜補強し、他者を自らの思惑通りに誘導することが、

議論の技術次第で可能になります。そうすれば毎回結論を同じくすることも可能であり、

結論に従って起こす行動もやり直す必要が少なくなるため、疲れにくくなります。

 

従って「『自分が何を以て善悪を論じているのか』を意識できると疲れにくくなる」となります。

 

次回(2/2)は、「いわゆる『世間体』は貴方の主観にのみ存在することに気づくと疲れにくくなる」です。

 

○善悪の基準についての詳細解説

 

 1.倫理観

 

    ・同一共同体の内部であればほぼ統一されている

    ・同一共同体に所属する人間同士で議論するならば別の機会でも結論にそうそう差はでない。

    ・時代が変わると変化するため、過去の倫理観を現在見ると、悪ととらえられることがある。

 

     例:人を騙すのは悪いことか?→日本国内であれば「悪いことだ」と結論づけられる。

 

 2.事実そのもの

 

    ・科学的手法を用いた実験で得られた事実や統計結果。または長年の経験則。

    ・Aという手法よりも、Bという手法ののほうが目的達成の近道=善だ、と、

     他者に明確に示せる。

    ・事実への意味づけ、経験の有無で結論が変わることがある

 

     例:養生指導は無視するよりも指示通りにしたほうが体調は良くなりやすい?

       →理屈が理解できるor実際に経験していればYESという結論に至る。

 

 3.自分の主観

 

    ・自分、あるいは自分の周辺の十数人だけの経験を一般化し、全世界の人間もそうであると

     思い込み、それを根拠とする

 

      例:男(女)は○○であるのが当然。だから××するのは非常識。

 

    ・自分と自分の身内を特別視する。

     そして他者あるいは身内であっても見下している人間を自分より下に見て、

     「自分は○○しても良いが、お前らは○○するのは禁止」

     「我々は利益を享受して当然。お前らは我々に尽くして当然」

     と考え、他者にその考え方を強制する

 

 ここからは私見です。「倫理観」と「自分の主観」、また「事実そのもの」と「自分の主観」は

それぞれ混同しやすいものです。そのため、物事の善悪を議論するときは「自分の主観」だけを

根拠としていないかどうかを常に自問し続ける必要があると考えます。

 

以上