詭弁を自己擁護に使うのを止めると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

詭弁を自己擁護に使うのを止めると疲れにくくなる」です。

 人は往々にして、自らが他人に対し害を為しても、自己擁護し、その行為が正当なもの、あるいは不可避な行為だと主張することがあります。

 

 この自己擁護の手段として「詭弁」(リンク先:Wikipedia)を使うと、確実に敵を作ると私は考えます。

 

 また、これも私見ですが、詭弁は前後の整合性を取るのが困難で運用を誤りやすく、

擁護して傷口をふさぐつもりが結果として広げてしまうことも多々あるという印象があります。

 

 まとめますと、詭弁を自己擁護に使うと、作らなくて良い敵を作りだし、傷口を広げてしまう可能性が

高くなり、その結果、疲れやすくなると私は考えます。

 

従って「詭弁を自己擁護に使うのを止めると疲れにくくなる」となります。

 

次回(3/7)は、「『共同の課題』の成立要因を認識できると疲れにくくなる」です。

 

○自己擁護そのものは「疲れやすくなるorならない」には無関係

 

   当記事での「自己擁護」は、その人にとっての「自らの安心安全を守る」ために行う、

  「善(その人のための)」である行為です。

   私見ですが、余程覚悟を決めた人でない限り、自己擁護は必ず行うと思います。

   また、他人に責任を擦り付けるような内容でない限り、自己擁護しても敵は作りません。

   それどころか、自己擁護がうまくはまれば、他人から見て「あの人にも理由があったんだな」と、

  いわゆる「盗人にも三分の理」があると思われるかもしれません。

   ですので自己擁護そのものはスジが悪い主張さえしなければ、敵を作ることもなく、

  自らの傷を広げることもないため、疲れ易くなるor疲れにくくなるとは無関係だといえます。


   私としては、意図して害する行為を行ったならばその立場を貫き、謝罪もせず罪に服し、

  意図せず害してしまったのであれば自己擁護せずに誠心誠意謝罪するのが最も単純でラク

  なのではないかな、と考えます。

 

以上