迫害を受けることは『主張の正しさ』を担保しえないことに気付くと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

「迫害を受けることは『主張の正しさ』を担保しえないことに気付くと疲れにくくなる」です。

 人は往々にして自分の主張が受け入れられないとき、防衛本能から「『自分の主張は正しい』が、

『その主張が広まると困る勢力』が居て『その勢力が自分の主張が広まるのを邪魔している』ため、

『自分の主張』は受け入れられない」と結論づける場合があります。

 

 この場合、「人に受け入れられない/受け入れられる」と「主張の正しさ」に関係があるという

考え方が鍵となりますが、その2者には関係がありません。

 

 「主張の正しさ」は、根拠となる事実の量によってのみ定まります(※)

 

     (※) 妄想や直観を根拠とすることや、少ない事例にのみ有効とするのは問題外です。

        また、事実をどう解釈するかによる影響は、ここではあえて無視します

 

 つまり「人に受け入れられる/受け入れられない」は「主張の正しさ」とは無関係です。

 ましてや「迫害を受けているからその主張が正しい」とは言えません。

 

 その「迫害を受けることと主張の正しさに関係性が無い」ことに気づかずにいるとどうなるか。

気づかない人は、自らの主張を盲目的に「信仰」し、見直しできず、「主観的」で

「根拠にならない根拠」を用い「早まった一般化」を行った「主張」を「正しい」と言い続け、

その結果、何も成しえずに時間と労力を消費し続ける状況に陥ります。そうなれば全ての労力は

無駄に終わるため、疲れます。

 

 「迫害を受けることと主張の正しさに関係性が無い」ことに気づけば、自らの主張を懐疑的に

見直せるため、過ちがあれば訂正できます。適宜訂正することで、より論理的に、科学的に正しい

主張に近づけていくことが可能になります。そうなれば全ての労力が無駄に終わる可能性は

小さくなるため、疲れにくくなります。


従って「迫害を受けることは『主張の正しさ』を担保しえないことに気付くと疲れにくくなる」となります。

 

次回(3/9)は、「『先回り』は状況と相手によっては止めておくと疲れにくくなる」です。

 

以上