こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「他人の実体験を否定しないと疲れにくくなる」です。
人は、他人の実体験を聞いたとき、自分の知識や経験でそれを推し量り、否定することがあります。
「そんなことあるはずないよ!」「え~?そんなことあるかなぁ……?」というように。
実体験を否定された側は「自分自身を否定された」と錯覚し、自らの安全を保つために反撃します。
反撃を受ければ否定した側も再攻撃し、攻撃と反撃が連鎖していくため、お互いに傷つき、消耗するため、疲れます。
実体験を否定せず、受容することで、攻撃と反撃の連鎖を起こさないようにできます。連鎖が起きなければ、お互いに傷つかずに済むため、疲れにくくなります。
従って「他人の実体験を否定しないと疲れにくくなる」となります。
次回(5/6)は、「イメージトレーニングをすると疲れにくくなる」です。
○実体験の受容について追記(私見)
人が実体験したものでよく否定されがちなのは陰謀論、オカルトや健康に関する体験だと
私は考えます。
「私は国家に邪魔されている、その証拠に××が私をずっと見ていた」「幽霊を見た」
「○○を食べるだけで痩せた」など、パターンは様々です。
主張する本人からすれば「本当」のことですから、その実体験そのものは否定せず、
受容して問題ありません。
例えば幽霊とかオーラが見えるというのは、その実体験を話として聞くだけなら
何の被害も生じません。
ただ、その後に「だから○○を買った方がいいよ」などとなった場合は逃げた方が無難です。
さて、なんらかの実体験をした人が、その仕組みを一見合理的に説明しようとすることが
あります(私見ですが、大体その説明は既存の証明済の事実で否定されることが多いと感じます)。
その説明に不合理があった場合、その不合理を指摘しておくほうが後々、本人および周囲が
被る被害を大きくしないと私は考えます。
特に衛生や食事関連で危険な実体験(「煮沸すれば何でも安全」という誤認など)について
正確な知識を啓蒙する必要があります。啓蒙は相手の実体験を否定するものではありません。
また、その実体験を他に応用しようとすることで、本人および周囲に被害が及ぶ場合、
これは逃げるか、逃げられないようならば対決して否定するのも必要なことだと私は思います。
(私としては「逃げる」方をお勧めします)
以上
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