『正しくて死ぬ』より『正しくなくても生き延びる』を選択できると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

『正しくて死ぬ』より『正しくなくても生き延びる』を選択できると疲れにくくなる」です。

 今回は完全な私見です。

 

 「自分は正しい人間であると信ずる」人たちのなかには、対抗勢力がどんなに強大であっても「絶対に引かない」と考える人が一定数いると私は思っています。

 

 それは恐らく「引いてしまったら、自分が信じる正しさが根拠を失い、ひいては自分自身の価値を失ってしまう」と考えているからではないかと私は思います。

 

 しかしながら、引かずにいて、対抗勢力に蹂躙されたならば結局そこで自分自身の価値を喪失するのには変わりません。そうなれば命が残っていても回復に相応の気力体力を必要とし、疲れます。命が残っていなければ言わずもがなです。

 

 ですので、「正しさ」を否定されたとしても、逃げられるならば逃げ、捲土重来を図れれば、気力体力を温存でき、反撃の機会もそのうちにやってきます。気力体力が温存できれば、疲れにくくなります。

 

 『項羽と劉邦』のように、どんなに途中で負け続けたとしても生き延び、最後の最後で一勝できれば目的は達成できるのですから、途中経過にこだわりすぎるのは悪手だと私は思います。

 

従って「『正しくて死ぬ』より『正しくなくても生き延びる』を選択できると疲れにくくなる」となります。

 

次回(7/23)は、「『逃げたら負けを認めることになる』という世界観を取り下げると疲れにくくなる」です。

 

以上