『逃げたら負けを認めることになる』という世界観を取り下げると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

『逃げたら負けを認めることになる』という世界観を取り下げると疲れにくくなる」です。

 『逃げたら負けを認めることになる(だから絶対に逃げない)』という世界観を持ち、

実際に逃げないように心掛け、逃げざるを得ない状況で逃げたとしても強い自己否定感を持つ人がいます。

 そういった人は、状況が許す『最も損害の少ない』選択肢として『逃げる』があってもそれを選択できません。すると『逃げる』以外の損害が大きい選択肢を選ばざるを得ず、『逃げる』を選択できる人よりも疲れやすくなります。

 

 ここで『逃げたら負けを認めることになる』という世界観を取り下げ、代わりに『負けたときは素直に認めてさっさと逃げるのが吉』という世界観を改めて選択すると『逃げる』を選択できるようになるため、疲れにくくなります。

 

従って「『逃げたら負けを認めることになる』という世界観を取り下げると疲れにくくなる」となります。

 

次回(7/24)は、「自分が誰かを『無能』と呼ぶとき、その目的に気づくと疲れにくくなる」です。

 

○何故『逃げると負けを認めることになる』のか

 

   以下私見です。現実問題として、目的を達成するのに、

    ・状況が目的を達成するための条件を満たしていない

    ・自分もしくは仲間の能力が目的を達成する能力値に達していない

   のであれば、その時点での失敗を認識し、逃げて再起を図るのが最善手だと思います。

 

   言い換えれば『負けを認めた』から『逃げる』のです。

   『逃げると負けを認めることになる』のは順序が逆です。

   『負け』の損害を最小するに手段の一つに『逃げる』、つまり逃走があります。

   『逃げる』こと自体に善悪の判定はありません。

 

   また『逃げなければ負けは無い』のか?答えは『いいえ』です。負けが確定した以上は、

  そこにとどまり続けたとしても損害が多くなるだけで、負けをひっくり返すことにはなりません。


   ではなぜ『逃げると負けを認めたことになる』と考える人がいるのか。

   私は、そう考える人は、『負けると失うものがある。だが、自分は何も失いたくない』という、

  世界観を持っているのではないかと考えています。そのため頑なに『負け』を認められず、

  そこから派生し、『負け』でしか使わない手段である『逃走』も忌避しているのではないかと。

 

   この仮説が正しいとして、そう考える人に対して、私は

  「失っても大体は取り戻せます。だから一時的に負けても良いのです」と伝えたいと思います。

 

以上