『自分が嫌悪する他人』の言動を受容したうえで批判できると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

『自分が嫌悪する他人』の言動を受容したうえで批判できると疲れにくくなる」です。

 人には好き嫌いがあります。

 そして嫌いな他人の言動を無条件に否定する場合もあります。

 (表面上は他人の賛同を得るために、尤もらしい理由をつけますが、嫌悪感が透けて見えます。)


 ですが、その場合、自分も無条件に他人から「ただ貴方が嫌い」というだけで否定されたとき、

反論につなげようとしても「自分も『嫌い』という理由で相手を否定することがある」と心理的

抵抗感が生じ、そこから議論にならなくなります。議論にならなければ建設的な結論を導ける

可能性が極端に低くなり、結果として疲れやすくなります。


 そこで、自分が嫌悪する他人の言動であっても、まず受け容れ、その言動の内容ひとつひとつについて

個人の好き嫌いを入れず、広く公開された判断基準で是々非々を議論すれば、建設的な結論を導ける

可能性が高くなります。建設的な結論を導けられれば疲れにくくなります。


従って「『自分が嫌悪する他人』の言動を受容したうえで批判できると疲れにくくなる」となります。

 

次回(7/28)は、「『普通』『特別』は判定基準しだいだと気づくと疲れにくくなる」です。


○私の好き嫌いの基準


   以下私見です。

   不安を煽ったり、他者を下げる言動を常態としている人間の言動は全て排除したほうが建設的な

  結論を導ける可能性が高いのではないか、と私は自分の経験からは考えます。

   ただ、これがまさに『私の好き嫌い』であり、『属人的な』判断基準に他なりませんので、

  まずは受け容れたうえでひとつひとつ是々非々を判断したほうがより疲れにくくなると考えます。

   しかし、私はまだ『危険を恐れる未熟なこころ』を持つため実践できておりません。


以上