主張の正当性は払った犠牲で担保されないと気づくと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

主張の正当性は払った犠牲で担保されないと気づくと疲れにくくなる」です。

 人は行動を行う際、何らかの犠牲を伴います。

 そして人は自らの行動に価値があると認識したいため、払った犠牲を本来の価値以上に評価する場合があり、そこからの派生で、払った犠牲で自らの主張の正当性が担保される、と考える場合があります。

 

 ですが、それは思い込みです。

 

 「正しさ」の定義にもよりますが、「主張の正確さ」であれば根拠事実や論理展開によって担保されますし、共同体の内部でのルールやマナーに則っているかという「コモンセンスとしての正しさ」であればルールやマナーそのものを見れば正誤は明らかです。つまり「払った犠牲によって担保される主張」はどんなに状況が変化しても存在しえないのです。

 

 したがって「これだけ犠牲を払った私の主張が間違っていることなんてあり得ない」という思い込みに則って主張をしても、勝ち筋は無く、負けるしかありませんから、疲れやすくなります。

 錯覚に気づけば別ルートで勝ち筋を見つけられる可能性が高くなるため、その分疲れにくくなります。

 

従って「主張の正当性は払った犠牲で担保されないと気づくと疲れにくくなる」となります。

 

次回(8/6)は、「悪い状況は放置しても良くならないと気づくと疲れにくくなる」です。

 

以上