『自分』が『相手』に『失望する』のだと気づくと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

『自分』が『相手』に『失望する』のだと気づくと疲れにくくなる」です。

 人は他人に失望する場合があります。

 その場合、「原因」は他人に生じていますが、「責任」は「失望した自分」にあります。

 (失望するプロセスと原因の生じ方の詳細を当記事後半に記載しました。併せてお読みください)

 

 であるのに、「原因」と「責任」を混同し、他人に「自分が失望した責任」を押し付けると、他人からは「理不尽な攻撃」とみなされ、「反撃」を受けるため、争いが生じ、傷つけあうため、疲れやすくなります。

 

 まとめると、失望は「失望する自分」に責任があり、「他人」に責任は無いと認識していれば、他人と争いになる状況も生じないため、疲れにくくなります。

 

従って「『自分』が『相手』に『失望する』のだと気づくと疲れにくくなる」となります。

 

次回(9/4)は、「『誤りから復帰する方法』に習熟すると疲れにくくなる」です。

 

○失望のプロセスと原因の生じ方

 

 失望の原因と責任の関係を説明するため、失望するプロセスを分解します。

 

 1.まず、「自分」の中で「自分にとって望ましい他人像」(以下「希望像」と呼ぶ)を作り上げます。

 

 2.「希望像」は、その対象となる「他人」にとって無関係です。

   (希望像を「他人」に強制したとしても、「他人」がそれに従わなければならない理由は

   存在しません。ただし、「理由はある」と思うのは「自分」の自由です。)

 

 3.2より、「希望像」の対象となる他人は、「希望像」から離れるも近づくも自身の選択次第です。

   (「希望像」を知らなければ全く関係ない道に進むでしょう。)


 4.「自分」は他人が「希望像」から離れると「望みを失う」、つまり失望します。

   失望の原因(=引き金)としては「他人が「希望像」から離れる行為」ですので、

   失望の原因は「他人」に存在します。

 

 5.「原因」は「他人」に存在しますが、他人が「希望像」に沿う強制性は無いため、

   失望に対する責任を「他人」は負わず、「希望像」を作った「自分」が負います。

 

以上