怒りが生じた際『何故自分はその怒りを生じさせたのか?』を考察すると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

「怒りが生じた際『何故自分はその怒りを生じさせたのか?』を考察すると疲れにくくなる」です。

  人は状況に応じ怒りを生じ、自らの行動を後押しさせます。

 そのとき「何故自分は怒りを生じさせたのか?」を考察し、その理由が自分の行動規範に合っているか判定し、合致しなければその状況下で怒りを用いるのを意識して止めるようにできると、のちのち同様な状況で無駄に怒りを生じなくなるため、疲れにくくなります。

 

 言い換えると、怒りを生じた理由が

  「相手を支配するための威圧に怒りを用いようとして」(→パワハラ、いじめなど)

  「相手を説得するための権威に怒りを用いようとして」(→子供や部下を叱るなど)

  「どうしようもない悲しみでつぶされそうな自分を鼓舞するために怒りを用ようとして」

   →(悲しみは「下降する力」、怒りは「上昇する力」の属性を持つため悲しみを怒りで相殺)

などのいずれであっても、それが「望ましい自分」の行動規範に合致していれば、それは自己の目的に沿って行動を後押しされていると言えます。その『行動の後押し』が感情の本義です。

 

 しかし、行動規範と合致していなければ本来「自己」が生む「従」の力である「怒りという感情」が裏返って自己に対し「主」となり、いわゆる「感情に振り回される」「ついカッとなってやった」状況に陥ります。感情で後押しされた行動は制御できなくなります。己の行動を制御できなければ無駄に気力体力を消耗するため、疲れやすくなります。

 

従って「怒りが生じた際『何故自分はその怒りを生じさせたのか?』を考察すると疲れにくくなる」となります。

 

次回(11/25)は、「『本物』と『偽物』は基準次第だと気付くと疲れにくくなる」です。

 

以上