『絶対不変の倫理』は存在しないと気付くと疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

『絶対不変の倫理』は存在しないと気付くと疲れにくくなる」です。

 人は倫理に従い社会生活を送っています。

 逆にいえば社会生活を送らない、つまりこの世に一人だけである状況下では、倫理は不要です。


 倫理とは社会生活と結びつきあっている、という事実から導かれるのは「社会が変われば倫理も変わる」という事実です。


 「社会」とは何か。それは共同体(ひとのあつまり)であり、時代であり、ひととひとの関係です。

 それらは不変でしょうか。いいえ。構成要員が変われば変化し、長い時間がたてば変化し、ちょっとした言葉の行き違いや思い違いですら、社会は変化します。

 そのように容易に変化する「社会」と結びついている「倫理」もまた変化し続けるのは自明です。

 別な言い方をすると「倫理的に~であるべき/でなければならない」という題目は、ある状況下では有効でも、別な状況下では無効である、ともいえます。


 ですので倫理を用い他人に働きかけようと試みるならば、「倫理が有効な状況(=社会)」を

自分と相手との間に作り出す必要があります。具体的には以下の2つの条件を満たす必要があります。

  1.相手の所属する共同体が自分の所属するそれと同じである

     (世代が違うのであれば、同じ日本国民じゃないかというように、スケールを

      一つ二つ上に上げ、同じ共同体の構成員であると呼びかけます。相手の同意が必要です。)

  2.相手と自分に信頼関係がある

 

 最低限、この状況を作り出せなければ倫理は相手に届きません。

 それを知らず、異なる共同体に属し(例 世代が違うなど)、かつ信頼関係がない(たまたま目についた)相手に対し、自分の持つ倫理を「絶対不変」と信じて説いても無効になるため、ただ疲れるだけです。


従って「『絶対不変の倫理』は存在しないと気付くと疲れにくくなる」となります。

 

次回(11/27)は、「『かかと』”にも”体重を乗せられると疲れにくくなる」です。

 

以上