『命題の定義』を共有してから議論すると疲れにくくなる

こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。

本日の「疲れにくくなる暮らし方」は

『命題の定義』を共有してから議論すると疲れにくくなる」です。

 人は命題を置き、それについて議論します。

 ですがその命題を状況を限定せず、また一般的でかつ人によって経験が異なる命題を扱うと、

議論の前提が共用できるはずが共用できず、平行線のまま進み、時間だけ過ぎていく議論になります。


 例えば、「『仕事』を休むのは是か非か」などの命題です。誰でも仕事については一家言ありますから、「休んでもよい」「休んではいけない」といった両極端の意見、それに「状況によっては休んでもよい」「いや公務員なら休んではだめだが民間ならよい」…などと収集がつかなくなります。

 

 命題提出者の目的が「喧々諤々で堂々巡りが続く、議論のための議論を喚起する」というものであれば、上記の「仕事を~」で必要十分です。しかし、建設的な結論を出したい場合は、状況を限定し、関わる人々はどのような人がどれだけいるのかを明確にしなければ、まず結論はでないでしょう。


 逆にいえば、実際に起きた問題であれば、実際の関係者のまま、実際の状況を詳細に記述し、一般化せずに命題を定義すれば、共有が滞りなく議論参加者に共有されます。

 また、命題が一般的なものであれば、最初に議論参加者が「自分はこの命題に対し、こういう考えを持っている」と明示してから議論に参加すれば、前提となる考えが合わない人はそれ以上、その人との議論を行わなくできます。


 そうして命題の定義を共有し、その命題に対するお互いの考えを明示してから議論を始めれば、お互いに譲れない点があれば、それ以上議論をしなくて済みますから疲れにくくなります。また、議論を深めるなかでお互いの考えを理解し、よりよい考え方を見つけられれば建設的な結論も導けますから、やはり疲れにくくなります。


従って「『命題の定義』を共有してから議論すると疲れにくくなる」となります。

 

次回(11/29)は、「他者を貶めても自分の主張が正当であるとは言えないことに気付くと疲れにくくなる」です。

 

以上