こんにちは。平穏堂院長の田上俊和です。
本日の「疲れにくくなる暮らし方」は
「『悩む』のは『責任を取りたくない』からだと気づくと疲れにくくなる」です。
人は目的を為すための選択肢があるとき、いずれを採り用いるかに悩みます。
「自分はどうすべきか」と。
選択肢には一長一短がありますが、大体の状況では、一つを選べば他の選択肢は消え、再選択はできません。そのため、選択するとは責任をとるのと同義です。(選択しないのは可能性を残すとも言えます。)
つまり、悩んでいる本人が「選択の責任」をとる覚悟さえできれば「悩み」は解決します。
逆にいえば、本人以外の誰かに「悩み」続けさせる強制力はありません。
そこに気づけば、どんなに深い悩みがあったとしても悩み続けるのは「自分が悩みたいから悩んでいるんだ」と気づけますし、「悩みを終わらせたければ責任をとる覚悟をすれば良い」とも気づけます。
どちらにせよ「悩み」の継続・終了の決定権は自分にあると気づけるため、その分ストレスが減じて疲れにくくなります。
従って「『悩む』のは『責任を取りたくない』からだと気づくと疲れにくくなる」となります。
次回(12/14)は、「「今の自分の限界」を定期的に認識しなおすと疲れにくくなる」です。
以上
※補足
「悩む」よりも「困る」ほうが自己決定性が無いため疲れるというお話をします。
人が「悩む」のではなく「困る」のは目的を為すための選択肢が「存在しない」あるいは
「非現実的な手段」の場合です。
例えばとても嫌いな同僚や上司がいたとして、「同じ職場に居たくない」という目的があったと
します。
このとき「職場の異動」ができる選択肢があれば、それを現状の居心地と比較して採用するか
どうかは「悩め」ます。これならば前述したように「いざとなれば…」と考えられるため、
まだストレスは少なく疲れにくいといえます。
ですが、小さい職場という状況などで「異動ができない」場合、有効な選択肢が無く「困る」ことに
なります。なお選択肢としては「自分が辞める」「転職」などもあり得ますが、養うべき家族がいる
場合、その職場での収入に問題が無ければ、なかなかに非現実的な選択肢です。結果として本人から
決定権が無くなります。決定権が無いということはストレスを跳ね返す力も無いため、本人は
どんどん疲れていきます。
ということで「悩む」よりも「困る」ほうが自己決定性が無いため疲れやすくなるという結論が
導かれます。
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