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平穏堂のアンガーマネジメント

こんにちは。平穏堂院長の田上です。

アンガーマネジメントについて私案がまとまりましたのでブログでお出しします。 

0.序論

当記事では平穏堂のアンガーマネジメントについて記述します。

まとめると、

1.人は”怒り”を問題解決に用いる

2.怒りには利点もあるが欠点もある

3.なので極力、問題を解決するには”怒り”以外の手段を使いましょう

というものです。

ご笑覧くださいましたら幸甚です。

1.人は”怒り”を問題解決に用いる

そもそもなぜ人は怒るのか。

それは「怒り」が問題解決の一手段として適切だと何度も学習する(した)からです。

詳しくみていきましょう。

 

たとえば「相手に自分を否定された」/「自分は正しく、相手は間違っている」

”だから”私は怒る、という論理展開に異論のある方は少ないかと存じます。

  

ですが「否定された」「正しい/間違い」という問題が生じた場合、

「怒る」以外の選択肢もいくつか考えられます。

まず考えられるのは「その相手から距離を取る」。

次に「相手はなぜそう考えた/行動したのか?」を推測し、その原因を排除するなどです。

ほかにも考えられるでしょうから、皆さんがお暇なときにひねりだしてみてください。

 

ではなぜ一足飛びに「怒り」が出てくるのか。

それは問題解決のための隠された前提に「相手から距離を取れない」「原因調査に割くリソース(時間あるいは気力体力知力)の余裕が無い」などがあるからです。つまり「怒り」による以外の解決手段が取りにくい場合です。

この前提に加えて「手っ取り早く問題が解決できる」という大きな利点(裏返すと欠点となることを第2項で後述します)が「怒り」にはあるため、問題解決の第一選択に「怒り」という手段が出現します。

 

「怒り」の「手っ取り早く問題が解決できる」という利点の学習機会は生きていればたくさんあります。

おそらく一番最初の機会は大きな力を持たない子供のときです。

自分よりも大きな力を持つ大人から自分の行動を「怒り」によって咎められ、行動を変えられた経験を皆さんお持ちかと存じます。

そうした「怒り」による行動変容の強制を何度も繰り返されるうちに人間は「怒り」の使い方を学習していきます。

そして次に、自分より弱い相手を選んで「怒り」によって相手の行動変容を強制することを試みます。そして何度も失敗と成功を繰り返しながら、より上手い「怒り」の使い方を学習していきます。そしてそのうちに問題解決に「怒り」は大変有効だ、という考えが強化されていきます。

 

ひとによっては「怒り」の便利さに溺れ「怒り」以外の解決手段がある場合でも「怒り」を問題を解決する手段の第一選択にする人がいます。それがいわゆる「怒りっぽい人」です。

2.怒りには利点もあるが欠点もある

怒りの利点は前項で記述したように「手っ取り早く問題を解決できる」、言い換えると「問題解決に必要な自分自身のリソース(時間/気力/体力/知力/金銭など)の軽減」です。

時間であれば(相手の時間を奪って)短縮し、自分自身にかかる気力/体力/知力/金銭の負担は(相手に負担させるので)軽くなります。

つまり「怒り」は相手に対して圧力をかけて相手からリソースを奪うことで問題を解決する手段だといえます。

そしてそれが「怒り」の欠点に直結します。

その欠点とは「怒り」を向けた相手から反撃を受けることです。

そしておそらくは自分が想定していないタイミングで反撃を受けます。

詳しくみていきましょう。

 

まず大前提として、問題解決に必要なリソースの総量は変化しません。

では軽減された分のリソースはどこから奪ってくるのか?

それは「怒り」を向けた相手からです。そしてリソースを奪うことは相手への攻撃にほかなりません。

ゆえに「怒り」を問題解決手段としたときは相手からの反撃を常に意識しなくてはいけません。

ですが「怒り」を問題解決の手段とする場合、相手は自分より弱いことが多く、反撃を受けることは稀です。ゆえに「怒り」を使って問題解決した人間は相手から反撃を受ける可能性を忘れてしまいます。

しかし「怒り」を向けられた相手の内側には、反撃衝動が貯めこまれていきます。なんなら何度も「怒り」を向けられることで、相応に強化されていくかもしれません。

そして自分が相手より相対的に弱くなったとき、その貯めこまれて強化された反撃を一気にくらうことになります。そうなればひとたまりもなく破滅するでしょう。

もっとも、一生反撃を受けずに逃げ切る人が多いのもまた現実ですが。

3.なので極力、問題を解決するには”怒り”以外の手段を使いましょう

「怒り」の欠点として、問題解決の手段に「怒り」を用いると後々自分が破滅する可能性が高くなることを前項で述べました。

そのうえで緊急事態など、非常に短時間に問題を解決しなければいけないときには「怒り」を使わなくてはいけない状況があるのもまた事実です。(例:交通量の多い道路に飛び出した子供を助けるとき、「怒り」によって自分自身のリミッターを外し、大声を出して子供を引き留めるとともに火事場の馬鹿力で飛び出すなど)

いいかえれば緊急事態以外ならば「怒り」以外の解決手段を用いることを私はお勧めします。つまりそれが平穏堂のアンガーマネジメントです。

詳しくみていきましょう。

 

第1項の例「相手に自分を否定された」場合をまず考えます。

このときの第1選択は「相手が自分を否定する目的を推測する」が私のお勧めです。

相手の行動の目的を推測することで、

2次的に「戦う/逃走する/相手に従う/何もしない」

という選択肢が生じます。そこから先はあなたの価値観しだいです。

 

同じく第1項の例「自分は正しく、相手は間違っている」場合。

このときの第1選択は「状況をただ受容する」が私のお勧めです。

相手が間違っているからといって相手の行動を変えることが最善か?は条件次第です。

その条件の精査をする精神的余裕を持つためにもまず「受容する」ことが大切です。

次に行動を変えることが最善だとなった場合も「行動を変えたとき、(相手の価値観で)相手に十分な利益が生じるか?」と考えることをお勧めします。

なぜなら人は常に利益が最大になるよう行動するからです(精神的、物質的、金銭的利益など重視する利益は人によって異なります)。

このとき自分の価値観で「これはあなたにも利益になるだろう」と強要するのは相手への攻撃に相当しますのでNGです。

それで行動を変えることが相手の利益にならなそうだと推測できたときは、全力でその相手から距離をとることをお勧めします。距離をとれないときは……いまの私には答えが出せません。

 

あとよくあると思われるのが相手を説得したい場合。

このときの第一選択は「信頼関係を構築してから、自分が相手にどうしてほしいかを伝え、そのうえで相手の選択をすべて受け入れる」が私のお勧めです。

なぜならば”相手を説得する”イコール”自分の価値観で良しとしたことを相手に強要する”ことにほかならないからです。善意からくる説得だとしても相手からすれば強要なので下手すると相手への攻撃になりかねません。

よくある誤謬で自分にとって良いことは相手にとっても良いことに違いないというモノがありますがそれは思い込みです。状況次第で良いこともあれば悪いこともありますし、相手があなたに説得されたくない(あなたと関わりあいたくない)と考えていることもあるでしょう。

そんななかで説得という手段で相手の行動をどうしても変えたいのであれば、大前提として自分と相手の間に信頼関係を構築しておいたうえで

1.まず自分の利益になるから相手を説得するのだということを認識する

2.自分が相手に望むことが、相手の価値観で、相手の利益になるか否かを調査する

3.自分が相手をどうしたいか、どうなってほしいかを相手に伝え、それが相手の利益になるかを確認する

4.説得に応じるか否かは相手に完全に委任し、相手が選択した結果を受容する

という手順を踏むことをお勧めします。

 

番外として固いびんのふたを開ける場合。

このときの第一選択としては「適切なふた開け道具を用いる」ことが私のお勧めです。

固いびんのふたを開けるとき気合を入れて力を出しますが、これもある意味「怒り」を用いています。このときの「怒り」の相手は誰でしょうか。

答えは「自分自身」と「びん」の両方です。

「怒り」によって「自分自身」に圧力をかけ普段よりも大きい力を出し、また「びん」にも強い圧力をかけて「ふたをあける」という問題を解決します。

このとき想定される相手からの反撃は自分自身の手を痛めたり、びんが割れたり、へんにふたが開いて中身をぶちまけたりすることです。